民は由(よ)らしむべし 知らしむべからず#0009

投稿者: | 2020年2月18日

信長の革命と光秀の正義

タイトル:信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺

著者:安部龍太郎

出版社:幻冬舎新書(2020年1月30日 第一刷発行)

こんにちは、Hitotsuboyaです。2記事続けての安部龍太郎さんの本の紹介です。今日の本は「信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺」です。また織田信長関連ですね(笑)。なんというか、「織田信長=ロマン」みたいなところがあり、私は魅かれるんですね。あとは、謎が多いというところも魅力の一つかもしれません。その「謎」の一つ、いや、最大の謎といった方がいいでしょうか、それが「本能寺の変」です。

前の記事「信長になれなかった男たち#0008」で紹介した、その名も“信長になれなかった男たち(著)安部龍太郎“と重複しているところもありましたが、より「本能寺の変」についてフォーカスされていますので、両方読んでも全く問題ない内容でした。むしろ、前書を読んでおくことで予習になって、より理解が進む気がします。

さて、いつものように、私の私見で気に入った一文、「おっ!」と思った一文、考えさせられた一文など、を紹介していきます。本の要約とはずれていますので、ご了承ください。気になった方は本書を手に取ってみてください。

では、いきます!

まずは、というか、これが「本能寺の変」のキーワードだったと私は感じました。

“天正十年六月 惣見院信長、為明智被誅”

西山本門寺の過去帳に、日順によって記された一文です。日循とは、信長の首を受け取った日蓮宗の僧、日海の弟子です。「誅する」とは上位の者が罪あるものを成敗するときに用いる言葉です。このとき、信長よりも地位の高い人物は、天皇と将軍しかいません。ということは、天皇または(両方?)将軍が、「信長を誅した」ということになります。その実行犯が「明智光秀」というわけです。
「まさかね。。。」と一瞬思いましたが、その後に続く本書の説明で、「なるほど、それも可能性は高いかもしれない」とうならせていだきました。

うならせていただいたのは、盲点だった(私だけかもしれませんが。。。)二人の人物

「近衛前久」 と 「足利義昭」

です。この二人が「本能寺の変」のキーパーソンだったのです。

簡単に言うと、近衛前久は朝廷側、足利義昭は幕府側ということになります。
近衛前久は、「信長と同じくらいの能力を持ち、同じくらいのスケールで天下国家を考えていた人物」と書かれており、「傑物」と評されていました。官職は「関白」であり、文武に優れ、まさにパーフェクトな人物だったようです。

足利義昭は信長の「傀儡」といわれてきましたが、そのような凡庸な人物ではなかったようです。例えば、信長包囲網の構築などです。しかし、元亀4年(1573年)に、足利幕府は滅亡。と歴史の教科書や通説になっていますが、実は義昭は京都から、鞆の浦(現在の広島県福山市)に移り、そこで政をしていました。つまり、幕府の機能は維持しており、現職「将軍」だったわけです。この鞆の浦の幕府ということで鞆幕府と呼ばれていたようですが、ここを中心に毛利家、長宗我部家、島津家など西側の大名の中心となったのです。その基盤には瀬戸内海の物流にかかわる「関銭」や「津料」による経済力がありました。

つまり、

“再興を狙うのに十分な力を持っていた足利幕府と朝廷、そして反信長派の大名たち―大きな勢力が信長を包囲しており、光秀はその実行者に過ぎなかったのです。”

と、本書に書かれていました。なんか、やるせないですね。

織田信長についてはこんなことが書かれていました。

“小軍にして大敵を怖るることなかれ。運は天にあり。此の語は知らざるや。”

桶狭間の戦いの際に信長が言った名台詞です。今川家に屈服するくらいなら、生きている価値はない。意のままに生きられないなら、武士らしく討死にしたほうがよい、とう意味ですね。本当にそのままこの言葉を言ったかどうかはわかりませんが、本能寺での最後に「是非もなし」と言ったという逸話も合わせると、超合理的で超我がままさが表れている一節だな、と思いました。

一方、明智光秀については「明智光秀家中軍法」の中に、几帳面な性格がにじみ出る規律が含まれているそうです。本文中では「几帳面」「エリート」といった明智光秀のイメージと合うようなことばが、出てきていましたが、やはりこの一文に尽きるのではないでしょうか

“明智光秀は、名前がよく知られているわりに謎が多い人物です。”

安部龍太郎さんの歴史考察には「経済的側面」からの歴史像が書かれています。私もこれに賛成ですし、戦国時代の力とは「経済力」といってもいいと、私も考えています。
信長の時代、世界は大航海時代でした。
そして、グローバルな時代だったようです。

“戦国時代はシルバーラッシュをきっかけにして高度経済成長を成し遂げた重商主義の時代”

これまでの農本主義から重商主義へ変化した時代。そんな経済構造の変化の時には、

“経済の構造自体が変わるとき、その産業構造の最先端を行っている企業が勝ちます。それが当時の織田家だったのです。”

と本書では述べられていました。世界の変革、日本の変革の中、信長は、

“初めて欧州に触れ、押し寄せてくるグローバル化の波に、日本はどう対処するのか?どうすれば植民地化されずに、生き残れるのか?”

という点で、一つの答えにたどり着き、それに向かう中で起きた「本能寺の変」であったという考察が本書ではされていますので、気になった方は是非読んでみてください。

ここまでは、おおよそ本書の言いたいことと近いと思います。
でも私が目に留まった本筋とは全く関係のない(まったくは言い過ぎかも)一文です。タイトルにもある

“「民は由(よ)らしむべし 知らしむべからず」”

です。これは江戸時代に流布したこのような考え方で、元々は「論語」の一節です。
元々の意味は

「人民は政府の法律によって動かせるかもしれないが,法律を読めない人民に法律をつくった理由を納得させることは困難である」

でしたが、江戸時代には

「法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよい」

という意味に変換されて使われ、政治原理の一つとなってしまっている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

民を馬鹿にした言葉だな、と率直に感じたのと同時に、実際そういう方針で政治は動くものなのか、と寒気がしました。もしかしたら、周りは、社会はそういう風に回っているのではないか。自分は誰かに踊らされて生きているのかもしれない。とちょっと考えさせられました。
じゃあ、どうするか。

“自分の目で、足で、頭で、物事を知ろうとする“

ことが大事なのではないかと思いました。あっ、偉そうに書きましたが、これは引用ではなく自分の言葉ですので(笑)

【おわりに】
2記事連続で安部龍太郎さんの本でした。私が歴史好きというのもありますが、一気読みでしたね。近衛前久や足利義昭などは、あまり歴史の教科書でも大きく出てこないので、見逃しがちですが、少し歴史が好きな人だったら、「おお、聞いたことあるぞ」という人物たちですので、総じて本書中に出てくる人物たちは有名人ばかりです。ですので、比較的読みやすいと思いますよ。文量もそれほど多くないので、本能寺の変の謎に迫りたい方にはお勧めの本です。

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